★しずむ夕日がたちどまるまち、双海より★
[著書]

・今やれる青春―二十一世紀えひめニューフロンティアグループ20年活動記
・昇る夕日でまちづくり―日本一を目指した夕焼け課長の奮戦記

■shin-1さんの日記

○いよいよ若松塾開塾
 人間牧場での塾活動がいよいよ始まりそうです。というのも人間牧場を作った時、かつて10年間で40回のフロンティア塾のようなものをつくりたいと思っていたものの、リタイアしたにもかかわらず私の日常が余りにも忙しく、向こうが見えにくかったため伸び伸びになっていました。しかしそこら辺の飲み込みも一応できたので、そろそろ始めようかと思っていました。人間牧場を作った折、もし塾を開くのなら私が第一号とばかりに名乗りを上げ、申請書まで持参した人がいます。関西汽船に勤める浜田久男さんです。彼は不思議な人で、子どもの頃お父さんの仕事の関係で旧下灘村日喰に住んでいました。その後のことは不祥なのですが、今は民俗学者宮本常一の足跡をたどることをライフワークにして、その生き方を研究しているのです。アカデミックな凄い読書家で、私も彼から沢山の宮本常一に関する情報を得てきました。たまたま人間牧場の眼下に宮本常一の生誕地である周防大島が見えることも、彼が人間牧場に興味を示した大きなきっかけなのです。
 私はこれまで3年間、別に意図があった訳でもないのですが彼の塾生第1号希望を無視し続けてきましたが、それでも彼は足繁く人間牧場へ通い続けているのです。先日地域試政策究センターの清水研究員と松本研究員が浜田さんと一献盃を交わしたらしく、その模様を三人三様酔いたんぼの声で電話してきたのです。「機は熟したからそろそろ浜田さんを門下生に」という懇願でした。開塾となるとそれ相当な準備をしなければなりません、先日長崎へ行く途中で乗った松山観光港〜小倉間のフェリーの中で坂本龍馬の船中八策ばりに、色々考えてみたのです。そのことについては志ある人に示すとして、浜田さんを塾生第一号にすることを決めました。
 

  さて一号で始まり一号で終わるかも知れないようでは芸がないと思い、日頃からこのことについて話している清水さんと松本さん、それに弓削島に越してきた兼頭さんと馬路村の木下さんを加える事にしたのです。このことがパソコンネットで流れて、菊間の大河内さんの耳に入り、強烈な入塾へのアピールがありました。早速返事を保留していましたが、あらかじめ用意していた名札用の板に、塾生の名前を書かなければならず、「夕やけ徒然草」出版の折、題字をお願いした伯父に名札を書いてもらうよう依頼したのです。伯父も体調が優れず高齢のため嫌がりましたが、シブシブ引き受けさせました。昨晩出来たから取りに来るように連絡があり、大学の講義日なので途中立ち寄りました。あいにく病院通いのため留守でしたが、机の上に置いているとの託けだったので、受け取ったものの文字が違うのです。塾という字の下の土が抜けているのです。困ったと思いつつ、病院から帰る頃を見計って家に押しかけ、間違った部分を書き直してもらいました。病院から帰った直ぐのドタバタだったので、これまた間違いがありまあ大変でした。
 持って帰って気がついたのですが、何とその名札に大河内さんの名前が既に書かれているのです。多分私が一昨晩書いた原稿に大河内さんの名前を、無意識のうちに書いていたのでしょう。大河内さんについても断る理由もないのですんなりことが運びました。

 さて塾長はフロンティア塾での経験から私が務めますが塾頭には清水さんになっていただくようお話しました。私の思案ですが、塾の目指す方向にある理想の人は二宮尊徳と坂本龍馬(ジョン万次郎を加える)それに宮本常一の三人です。故に塾生はこの三人の生き方を基本とするため、誰よりも詳しく学ばなければなりません。二宮尊徳は経済と愛国、坂本竜馬とジョン万次郎は行動力と夢や発想、それに運命です。また宮本常一は日本人の心と生き方、それに愛郷心です。
 さあいよいよ船出です。血が騒いできました。。

  「入門を 願い三年 経ったので ここらでそろり 腰を上げるか」
  「達筆の おじに頼みし 名札書き 土書き忘れ 半塾未熟」
  「わが名前 まんざらでなく 手にとって 付けた親父に 感謝をしつつ」
  「人の書く 文字をあれこれ いうけれど 自分の文字は まるで落書き」